-- 歴史的に見てもあれだけスニーカーが盛り上がったのは、90年代が一番ですか。

    「そうですね。[NIKE]の『エアマックス95』を中心にスニーカーバブルと言われてるんですけど、僕がmita(sneakers)に入った96年がピークあたりだと思います。70年代、80年代もそれぞれ人気のモデルがあって、70年代はバルカナイズドの靴やクラシックランニング、80年代はバスケットやテニスのコート系だったんですけど、90年代になってそこに“テクノロジー”が入ってきたんですよね」

    -- いわゆるハイテクですね。

    「90年代って、“近未来”っていう言葉がまだ生きてたというか、まだ20世紀だったので、空想の中で『21世紀はスニーカーを履いて空を飛べるんじゃないか』、とか、『靴に電気の力が加わってそれ以上のことが出来るんじゃないか』っていう期待みたいなのがあったんですよね。スポーツブランドの中ではアッパーのフィッティング競争、ソールのクッショニングの競争もありました。もちろん人間工学に基づいてはいるんですけど、そこにはどこか近未来的なデザイン要素が入っていたんですよね」

    -- 確かにあの時代のスニーカーデザインは独特ですよね。

    「しかもいま創ろうと思っても創れるデザインではないというか。80年代の要素や過去のものがマッシュアップされて、いい意味で『何でもあり』の時代だったんです。『新しいものを作りましょう』っていう気運もあったし、独創的な発想もどんどん出てきた。80年代後半に[NIKE]の『エアマックス1』が出てきて、90年代に『90』、『95』と続いて、クッショニングのテクノロジーも盛り上がりました。その後に[Reebok]の『ポンプフューリー』や、[PUMA]の『ディスク』が出て来たりして、だんだん『アイデアを形に』っていうモデルが登場してくるんです。コンピューターで計算して作るというよりも、デザイナーのアイデアがデザインに反映されていた部分が90年代には大きいんだと思います」

    -- 90年代に生まれた各ブランドの靴って、継続や復刻したものも多いと思うんですけど、密かになくなったものも結構あるんでしょうね。

    「山ほどあります(笑)。でも90年代のスニーカーが凄いのは、一番安い靴からトップモデルまで、何一つ同じ物がない時代だったんですよね。型を作るのってすごくコストもかかるんですけど、メーカー側も開発に相当お金もかけていた時代です。それだけみんな消費してたっていうことでもあるんですけど。NBAもまだ人気があって、スニーカーとスポーツがカルチャーとしてもリンクしてた時期なんですよね。シグネチャーモデルが出れば売れましたし」
国井栄之 mita sneakers / Creative Director

東京/上野のスニーカーショップ「mita sneakers」のクリエイティブディレクター。様々なブランドとのコラボレーションモデルや別注モデルのデザインを手掛け、さらに世界プロジェクトから国内インラインのディレクションまで様々なスニーカープロジェクトを具現化。通称“スニーカー番長”。