アダムに相談に行ったことがある。まだ駆け出しの頃、ある仕事をして、その時自分のやったことがちゃんとクレジットされず、他の人がやったように書かれてしまった。まだ新米な私は、自分が苦情を言える身分なのだろうか、よくわからなかった。でもやはり虚実を書かれるのは不快なだけでなく、まちがった情報が流れることを知っていて許してしまうのは、自分の責任にも欠けるような気がした。こういう時はどうすればいいのだろう。
 
『僕は自分の思っていること、信じていることは必ず言うことにしてるんだ。』とアダムはやさしい表情で言った。私は、若気の至りの憤りで、全身が固くなっていたのだけれど、彼の優しい心強い忠告に、どこかホッとした物を感じた。もし彼に「がまんしなさい」と言われていたら、そのままずっと固くなっていただろうと思う。実際口にだして抗議することは、とても勇気のいることだけれども、そのことによって何らかの形で未来から光が射してくるように感じた。
 
アダムは正々堂々と恐れることなく、しかも平和的に力強い抗議のできる男だった。チベット解放運動もその一つだったし、1998年、9・11の3年前に、アメリカの中東攻撃を非難しテロリストに復讐されることを、テレビで実況中継中であったビデオ・ヴァンガード賞の受賞スピーチの場を使って予言し、アメリカ政府の暴力的な行動に抗議している。イスラム教徒に対するアメリカ人の人種差別的態度も批判している。大切でヘビーな内容を語る、彼の柔らかい声は、いつまでも私達の耳にこだましていくだろう。

本田ゆか
Cibo Matto