アダム・ヤウクは、とっても思慮のある人でしたし、色々な引き出しのあるとても稀な才能のあるクリエイティブな人でした。
 
ビースティーのヒップホップなとっても楽しい音楽の中に、ものすごくソフィスティケイトされた音楽性を加えたのも、そんなアダムの一面があったと思いますし、チベタンフリーダムコンサートのような、社会的なメッセージのあるイベントを作り出したのも、そういう彼ならではの、とてもスペシャルな人格と思考の現れだったと思います。
 
アダム・ヤウクのあの自由さと行動力、そして情熱は、ものすごいなと、つくづく思いますし、とても勇気づけられました。
その情熱も、典型的な真っ赤な赤みたいな情熱というよりも、静かな緑色のような、青色のような、白色のような、透明のような、
一言では、いい切れない色の情熱でした。
そこに彼の個性と才能がたくさん詰まっていたような、そんな気がしてなりません。
 
日本でデビュー当時のチボマットが演奏したときは、アダムとマイクが、ベースを弾いてくれました。
チベタンフリーダムコンサートでは、まだバンドとしては新人に近い私達を誘ってくれました。
911の後、混乱の渦の中、New Yorkers Against Violenceというイベントにも誘ってくれました。
この前のアダムの送別会で、ビースティーの関係者に、アダムは、デビュー当時のチボマットのことを、とっても応援していたのよ、と言われ、また、目頭が熱くなりました。
この場をかりて、たくさんのサポートをどうもありがとうと言いたいです。
 
個人的な話ですが、私は、ティーンエイジャーの時に、ビースティーの音楽に出会ってなかったら、私はNYに来なかったと思います。その憧れのビースティーのアルバム、ハローナスティーで、一緒に歌うのを誘ってくれたことは、忘れることができない思い出となりました。
私が渡された歌詞、"I don't know" と ”Queries" は、とても洗練された ”考える人、アダム・ヤウク”が詰まったポエトリーでした。
 
さて、彼が、この世を去って、もう一ヶ月も経ちました。
彼のことを考える度に、頭に浮かぶ考えがあるのです。
それは、Everything is possible.(全ては可能である)
なんだか、アダムが彼の人生で私達に残してくれたたくさんのことを考えると、この考えが頭に毎回、よぎるのです。
これは、アダムが残してくれた最高のプレゼントのような気がして仕方ありません。
 
ここで言えることは、限られていますが、
私達は、感謝でいっぱいです。アダム、音楽で私達を楽しませてくれてどうもありがとう。
チベットに関しての活動で、希望をくれて、どうもありがとう。
 
みんな、アダムが居なくて、とっても寂しいけど、アダムから学んだことを活かして生きて行きたいです。
 
We love you so much, Adam!!!

ハトリミホ
Cibo Matto